道徳 5年 「うばわれた自由」の授業はどうしたらいい?

教育

こんにちは。
今回は 教材研究 道徳編 です。

5年生で扱う『うばわれた自由』です。

テーマ(内容項目)は善悪の判断、自律、自由と責任です。

この内容項目は「善悪の判断」「自律」「自由と責任」これら全てを扱わないといけないのでしょうか?

いえ、そうではありません。
各教材によって、必ずどれかに重点が置かれています。

また言い換えるなら、どれか1つに重点を絞って授業を行えばよい、ということです。

今回の『うばわれた自由』は果たしてどこに重点が置かれているのか(重点をおけばいいのか)。

それさえわかれば(決まれば)授業の流れはほとんど完成します。

では、さっそく見ていきましょう!

  1. 内容項目と教材について
  2. 導入
  3. 発問・中心的な問い
  4. 終末・まとめ

1 内容項目と教材について

内容項目

A 主として自分自身に関すること

「善悪の判断、自律、自由と責任」

5・6年の目標

自由を大切にし、自律的に判断し、責任のある行動をすること。

改めて見てみると、内容項目及び目標にある3つのことは似ていますが、別々にして考えていきます。
解釈が少し異なるからですね。

①善悪の判断
②自律
③自由と責任

①の「善悪の判断」とは「善いこと」と「悪いこと」の区別を自分の中でしっかりと持つ、ということです。

大事なことは押し付けないこと。法律で定められていたり、公共の福祉に反するような善悪ももちろんあります。
知識として伝えるのは大切です。一方、ただただそれだけでは考える余地がありません。

子ども達が考え、議論する場面設定だからこその道徳でしょう。人それぞれの考え方、判断、基準の違いを多角的に考えさせたいですね。

②の「自律」とは、善悪も含め自分の基準を持って判断したことについて、「自分が正しいと信じること」「自分がすべきこと」を行動に移す力です。

間違ってはいけないことは「正解」を求めすぎないこと。
ともあれ子ども達は安易に正解を求めます。そして、正解であろう答えを求める教師の顔を伺います。

子どもも教師も「正解」を求めすぎてはいけないんですね。

「自ら判断し、自らを律して行動すること」こそが「自律」です。
必ずしも「正解」を選べない、または選ばないことに対する葛藤を共に考えたいですね。

③の「自由と責任」とは、自ら判断した行動に責任が伴うことをしっかりと考える、ということです。

しかし「自由」という言葉を子ども達はいろいろな意味で捉えています。

わかりやすくイメージするならば、「相手のこと」と「自分のこと」を考える、それぞれのバランスになります。

自分のことだけを考える、つまり相手のことをないがしろにし、自分のことに大きく比重をおけば、それは自分勝手になり得るでしょう。

また、反対に相手のことだけを考えるのは、自分を押し殺し、相手のことを伺ってばかりの卑屈さにつながります。

どちらにもバランスのとれた「本当の自由」を見つけるには、相手のことも考えた「責任」を自らに持つということが捉えられれば大丈夫です。

教材について〜留意点〜

『うばわれた自由』の内容項目は先に示した通り ①善悪の判断 ②自律 ③自由と責任 の3つがありますが、
今回の「うばわれた自由」はどれを重点にすれば良いのでしょうか?

③自由と責任 ですね。

この教材は「自由」という言葉をとてもよく教えてくれます
子ども達が改めて「自由」という言葉に向き合う機会をくれるのですね。

・自分のこと>>相手のこと

ジェラール王子の自由な行動を通して、自由とその背景にある責任を改めて見ることができます。

ジェラール王子は自分勝手な振る舞いをします。
つまり、自分のことだけに大きく傾いた状態ですね。

さて、その理由を考えるとどうでしょうか?

楽しいから。やりたいからやっている。

自分だけができる。優越感。

きまりを破ることが面白い。

ジェラール王子は、自分がやりたいから森で狩りをしたし、自分がやりたいから注意も聞かずわがままに振舞ったのです。

・自分のこと ≒ 相手のこと

一方、「自分がやりたいこと」をすることはいけないことなのでしょうか?

給食をたくさん食べたいから残っている給食のお代わりをする。

宿題とは別に、自分で調べて自主学習に取り組む。

休み時間に鬼ごっこをしたいから、みんなと鬼ごっこをする。

このどれも「自分がやりたいこと」です。

これらはやってはいけないことでしょうか?

ジェラール王子の行動との違いはなんでしょうか。

そこにこそ道徳的価値を考える意味が生まれます。
知識として教えられるものではなく、議論をする余地が生まれるのですね。

ジェラール王子は「自分のことだけ」に大きくウェイトを置いていました。

しかし、次に見た3つの例はどうでしょう。

学級の「相手」(みんな)であったり、将来の自分(今の自分に対して将来の自分を「相手」として捉える)であったり、自分のことと相手のことをバランス良く考えています。
そこには相手のことに対しても「責任」が内在するのです。

自分だけでなく、相手のこのともしっかりと考えてとった行動は「自由」と呼べるのです。

相手のことや、自分の将来のことを考え、そこに責任を持つ。
責任のない自由は自分勝手。
責任のある自由が本当の自由。

自由と責任には切っても切れない関係があるのですね。

・自分のこと<<相手のこと

また、「相手のこと」ばかりに大きくウェイトを置いてしまう、少し歪な状態も現実にはあります。

極端な例で言うと、カーストの状態やいじめの状態、虐待なんかもこれに当たります。

自分自身に選択権がほぼなく、相手に握られてしまっているような状態です。

そこまで極端な状態でなくても、優しすぎる児童がきょうだいや学級のために非常に献身的になりすぎる、というのはあります。

実際に何人か見てきましたが、「相手」や「誰か」のために自分の自由を押し殺しての行動は決して正しいとは言い難いです。
しかし、中には本人の選択として、「相手が喜ぶことが自分にとって嬉しいこと」「誰かの役に立てることをする、という選択の自由」と言えなくもありません。

ここに関しては非常にデリケートな部分も含むため、画一的な答えはありません。

もちろん、いじめや虐待に関してはあってはならないことです。

しかし、本人の中でバランスのとれた自由があれば、それは否定できるものでもないと思います。

もし授業の中で出て来れば、気をつけながらも大いに議論したい内容ですね。

教材について〜あらすじ〜

わがままなジェラール王子は、森で動物をとってはならないきまりを破り、狩りを行った。

森の番人であるガリューは「王子の言っている自由は、自分だけに都合のよいようにすることで、本当の自由とは申しません。それはわがままというものです。」とジェラール王子を諭そうとする。

しかし、ジェラール王子は聞き入れず、このように注意したガリューを牢屋に入れてしまった。

王子はのちに王になり、わがままがよりひどくなった。

そしてわがままは国民にも広がり、王の座を奪うものまで出てきた。

国内の乱れのもと、ジェラール自身もとらわれの身となってしまう。

そこで会ったのが、かつての森の番人のガリューだった。

ガリューが牢屋から出られることになった時、「そこから出る日がきたら、一緒に本当の自由を大切にして生きてまいりましょう。」と言って去っていった。

5年生「うばわれた自由」(日本文教出版)

2 導入

まずは本時のテーマ「自由」についてしっかりと想起させます。「責任」をうっすら匂わせるのが大事です。
「自由」について考える中で自分たちなりに捉えておくことで、授業展開時に考えが揺さぶられる契機になります。

T:教師 C:子ども

T:「自由」のイメージは?
C:自分の好きなことをする。
C:やりたいことをする。
C:しばりがない。

T:じゃあ「自由」だから、友達の教科書に落書きしてもいいんですよね?
C:それはいけない。

T:自由って好きなことをするからいいんじゃないの?

C:いやいやいや・・・。

T:今日は、「自由」をテーマに『うばわれた自由』という教材を読んでみましょう。

3 発問・中心的な問い

ジェラール王子の行動は自由でしょうか?

この時点で何人かは揺れる可能性があります。
あるいは全員が自由ではない、と言うかもしれません。

問い返しをして、しっかりと考え・悩む機会を作りましょう。

「自由」とは、したいことをするから、ジェラール王子の行動は「自由」なんじゃないの?

おそらく、「自分勝手」や「わがまま」といったキーワードが出てくるでしょう。

自由=わがまま・自分勝手

自由 ≠ わがまま・自分勝手

子ども達とここで大いに話し合いましょう。自由とわがまま・自分勝手はどこがどう違うのか。

ここでしっかりと議論することで、「本当の自由」が浮き彫りになっていきます。

相手のことを考えているかどうか、そこに責任があるということを子ども達の言葉で認識させましょう。

ガリューの言う「本当の自由」って何?

自分だけでなく、相手のことも考えられることが大切だと、子ども達と共に話し合いができれば授業は成功と言えますね。

他にも違う角度からの発問の考えられるでしょう。

・始めと後のジェラールの「自由」の考え方はどう違う?どう変わった?
・森の中のジェラールと牢屋の中のジェラール、自由なのはどっち?
・本当の自由を使える人とは?
・なぜガリューはジェラール王子に注意できたのだろう?
・ガリューの自由を奪ったのは誰?ジェラールの自由を奪ったのは誰?
・ガリューの最後の言葉を聞いて、ジェラールはなんと言うだろうか?
・本当の自由を見つけるためにはどうしたらいいのだろうか?

4 終末・まとめ

道徳の授業の終末で価値観を1つに「まとめ」ることは決してふさわしくありません。多様な価値観を認め合うことが大切です。
ここでは便宜上、この授業で学び取って欲しいポイントとして「まとめ」として表記しています。

終末に、もう1度「自由のイメージは?」とたずねてみましょう。
そうすることで子ども達の学びや変容、自己評価が見えてきます。

  • 自由には責任がある。
  • 自分のことだけじゃない。人に迷惑をかけない。わがままと自由は違う。
  • 自由のためには、周りのことや将来のことを考えることが大切。

これらのポイントを押さえられるといいですね!

今日は「5年『うばわれた自由』【善悪の判断、自律、自由と責任】の授業はどうしたらいい?」
について考えてみました。

一歩前に進みましょう。また次回もお楽しみに。

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